構成、文 松枝 禮
監修 日本テニス学会
大きかった海外とのギヤツプ
元デ杯監督や元全日本出場者の人たちとテニスができるという比較的に恵まれた環境でテニスにのめり込んだ私であったが、こと科学性に関して目覚めることになったのは、外国と接するようになってからである。「試合中に水は飲むな」、「テニスの選手は水泳はするな」というのは、ついこの間まで、日本のテニス界では常識であった。しかし、1970年代の後半に、米国の大学に客員教授として滞在する機会があり、全盛期の米国のテニスに実際に接してあ然となったのを、今でも鮮明に覚えている。コナーズ、エバート、マッケンローに続いて、オースチンやイエーガーらの十代の選手らが台頭してくる米国の底力に圧倒されただけでなく、試合中にガプガプ水分を補給し、リラクゼーションで水泳も日常的に取り入れられていたからである。
そして、エバートのフラット打法の打点は、ボールをできるだけ引きつけて打つように教わった日本のクレーコートでの打点よりかなり前方であった。こと学間の分野では、いつも疑問を持ちながら独創性を追求しているのに、趣味のテニスとなると、医学的な知識もあるのにまったく疑問に感じていなかった自分を恥じいったしだいである。
指募者の養成が先か、選手の養成が先かと、鶏と卵の論議がよくなされるが、こと日本においては、科学的な指導法を取り入れて新しいジュニア選手の育成ができる指導者の養成のほうが先、というのが、その当時の私の緒論であった
そして、外国と比べて日本が抱える問題点としては、名選手が名コーチと信じられ、playingとcoachingは別の仕事であるという分化がなされていないこと、ジュニア選手の育成は学校だけに頼り、いわゆるクラブでの育成がなされていないこと、さらに国際的に通用する指導者の養成とジュニア大会の充実が必須であること、という3点が挙げられた。
外国では、金メダルを取った選手でもコーチ学を学んだ者でないとコーチになれないという例を挙げるまでもなく、コーチと選手は完全に分化している。日本テニス協会の講習会でローズウォール(オーストラリア)と一緒に仕事をしたことがあったが、彼は、「今のテニスはわれわれの時代のテニスとはまったく違うスポーツだ。私はteachingの勉強をしていないので教えられない」と私に真顔で訴えた。彼ほどの大選手が、じつに謙虚であったことが印象深かった。
全日本出場者という過去の経歴の持ち主であるなら、少なくとも一人はその後継のジュニア選手を養成してほしいというのが私の率直な願いである。科学というと、大学などでの机上の話で、実際の現場とは別のものという雰囲気があることは否定できないが、私は現場で具体的に生かされてこそ初めてその意味があると思っている。以下、私が、科学性を意識しながら、日本のテニスのレベルアップを目指して取り組んできた具体例について、記してみたい。
声を出して打つこと
80年に帰国後、桜田倶楽部で民間クラブによるジュニア選手の育成を目指すことになった。そして、最初に行なったのが、ニック・ボロテリー、ピーター・バーウオッシュ、ロス・ジョーンズなどの外国のトップコーチを招いての勉強会であり、世界的に通用する指導法の確立であった。そして、これに日本独自のものを組み入れるべく、柔道、剣道、弓道といった日本の武道の研究も行なった。
当時よく来日していたジム・レーヤーも、日本の武道には大変興味を示していたが、「少なくとも、10年や20年はかかる」という武道の大家の説明に、「それでは選手生命は終わってしまう」と言っていたものである。歯をくいしばって息を止めて打つ子に対して、剣道と同じように声を出して(息を吐いて)打つようにさせた効果はてきめんであった。この武道から取った呼吸法は、医学的にも理にかなっているので自信を持っていたが、今まで声を出して打つ子がいなかったので、「桜田の子はマナーが悪い」という非難にさらされることになった。
しかし、ジム・レーヤーの指摘などもあり、声を出して打つトッププレイヤーが出現したおかげで、この問題はやがて解決することとなった。
USPTAとJPTAの提携
日本の指導法のレベルアップには、まずは世界的な指導法を日本に普及させることが必須であった。そこで、私が日本人として初めて米国プロテニス協会のライセンスを取ったのを契機に、日本プロテニス協会(JPTA)に対して、米国プロテニス協会(USPTA)との提携を提案した。 英文資料では通じないため、膨大な資料を翻訳して何度も足を運び、米国側との調整を行なった。石黒理事長、川上事務局長の時代である。そして、この提携を契機にしてメンバーが増大し、日本プロテニス協会が今日の組織に発展を遂げたことは同慶の至りである。
ジュニア コンピューター ランキング システム
82年に関東テニス協会のジュニア委員として協会の仕事を手伝うことになったが、関東大会に出場する選手の選考に大きな問題があることを知った。
各都県大会の成績で選考するわけであるが、お互いに対戦しているわけではないので、これは至難のわざであった。選考委員が知っている子が選ばれやすい一方、落選した子の親からクレームがくることはしばしばであった。米国のように、テニス用具の公案の人や出場対象者の子を持つ親が大会に関係することは絶対なく、シーズンには毎週大会があるというフェアな状況とは対照的であった。
そこで、私が中心になって、クラブのオーナーたちにできるだけ多くのトーナメントを開いてもらい、その成績をポイントで管理するジュニアコンピューターランキングシステムを3年がかりで作り上げた。さらに「ジュニアトーナメント開催者のためのテニスハンドブック」(1)と「ジュニアプレーヤーのテニスハンドブック」(2)を書き、それを両輪として普及させた。
このようなシステムができると、関東の活性化が起こるもので、全日本ジュニア・チャンピオンの数で主力を占めていた関西に代わって、関東が大きく伸びたことは象徴的であった。現在では、1万5千人の子が登録するまでに発展している。このような客観的にランキングを決めるシステムの構築には、科学的な裏づけが不可欠であり、科学性を生かした良い例と言えるだろう。
車いすテニスの普及
車いすテニスの歴史は浅く、日本に初めてそれを紹介したのは米国のピーター・バーウォッシュである、81年に3人の車いすの人に教えたのが最初であり、それ以来、私も車いすの人の指導や大会の運営に関わってきた経緯がある。
しかし、今日のような発展を遂げたのは、彼の弟子のラリー・カーンによる中野体育館での地道な指導と、自然発生的に起こった日本各地での関心の高さと活動のおかげだったと言える。日本では「足ニス」と言われるほどフットワークが重視されてきたが、足をまったく使えない車いすの人にテニスを教えるに当たっては試行錯誤の連続であった。
「プラクティカルテニス」のシリーズをビーター・バーウォッシュと共同執筆する過程で、サーブ動作を科学的に分析し、スナップが大切であることをスピードガンの測定で確認して、車いすの人の指導で実証することができた。毎年秋に有明で行なっている大会も今年で11回目となるが、佐藤直子、伊達公子、坂口恵美子、溝口実貴、錐子牟田明子、平井健一プロたちが、ボランティアとして大会の運営に協力していることはあまり知られていない。大会のディレクターとして、
紙面を借りて謝意を表したい。
レイティングでの試行錯誤
レベルの違いすぎる人と試合をしても、テニスは楽しくない。一般のテニス愛好家にとっては、力が同じくらいの人との試合がもっともエキサイティングであり、試合後も仲良くなれ、真の意味でテニスを楽しむことができると考えられる。
70年代後半に米国で始まったレイティングは、1からO・5刻みで7・0までの13段階に分け、自己申告でレベルを決定して試合するものであった。すべてが大まかな米国でさえも信頼性がうんぬんされていたので、すべてに厳格さが要求される日本ではとても成り立たない。そこで、査定する人に左右されず、査定される人が納得のいく客観的な査定法の開発について研究を行なった。
どのようなショットをどれぐらい打たせ、いかにスコア化すればいいかの問題であり、正に科学的な研究である。日米双方での実験を経て種々検討して完成したのが、日本のレイティングである。
現在、日本テニス協会で実施されているので詳細は省くが、フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストローク、サーブ、ボレー、オーバーヘッド、ロプ、ドロップショットをエリアを狙って実際に打ち、図1のようなレイティング・チャートのスコア(340点満点)により自動的にレイトが決まるシステムになっている。そして、そのレイトに応じた大会に出場すれば、シードがなく誰もが優勝侯禰になれるので、選手権とは違った和気あいあいの楽しい大会でテニスを楽しむことができる。
協会の財源にもなる個人登録の有効な手段であるが、地域協会の取り組みに落差があるのが惜しまれる。
ビデオクリニックの効果
トッププレイヤーの動作を科学的に分析したり、前例のない車いすの人たちにテニスを教える必要に迫られて色々試行錯誤を繰り返した際に、ビデオの活用が極めて有効であることを知った。
その後、指導者に恵まれをい子どもたちの指導においても、相談とビデオの送付→分析と診断→矯正やトレーニングの処方→ビデオの再送付というサイクルによる指導によって、予想以上の効果が得られることがわかった。
ビデオによる一流選手とのフォームの比較や診断は、最近ゴルフで商業的に行なわれるようになってきたが、テニスでは絶えず動き回るので、その動きの中で診断する必要がある。そして、各人で異なる要求や悩みに対して、どうすれば解決し上達することができるかの処方を出すことができないと、実際の上達はむずかしい。この処方まで出してフォローしていくのが「ビデオ・クリニック」(3)のコンセプトの特長であり、その処方の1例を図2に示す。
一方、テニスの試合の分析については、試合会場で、1ポイント毎にコンピュータに入力を行なう米国のCompuTennisがすでに実用化されている、これは、ポイントごとに、最後に決まったショットの内容を分類して入力すると、ファーストサーフの確率、セカンドサーブでのポイント獲得率、サービスエースの数、サーブのキープ率やブレイク率、アンフォースト・エラー(イージーなミス)の数などの統計が自動的に算出される仕組みになっているシステムである。プロの試合のテレビ中継で放映されるこれらの数字も、この統計値である。
しかし、これを実施するには、特別の入力マシンとソフトを購入する必要があり、また、試合を見をがら入力できるようになるには相当の訓練を必要とする。また、このような決まったショットの数字が客観的なデータとして役に立つのは事実であるが、われわれコーチが戦略や戦術を選手に授ける場合には、決まったショットだけでなく、そのポイントがどのようにして決められたかの過程を重視することが多い。
たとえば、フォアに2球続けた後はバックに決めにくるといったような、各選手のクセを見破ったり、ピンチやチャンス時のサーブのコースなどの読みである。
実際、昨年の対フランスのフェド杯では、1日目のメアリー・ピアースのサーブの分析を行なった結果、デュースコートもアドコートも、通常はセンターライン側にサーブしてくるが、フォーティ・フィフティーンと断然有利に立った時と、逆にプレイクポイントを迎えたピンチの時は、一か八かサイドを狙ってサーブをしてくることを発見した、
そして、このアドバイスも功を奏し、2日目に、杉山愛選手がピアースに快勝したことは記億に新しい。試合分析のビデオクリニックでは、ポイントの分析だけでなく、コーチの目で見たゲームプランと、それのためのトレーニングの処方を出すことを主眼としている。このビデオクリニックは、テニスのみならず他のスポーツの指導にも応用可能であり、茶道のような芸事の学習にも利用されてきているので、映像を利用する指導法としての発展が期待される。
インターネットテニスジャパン
インターネットは、そもそも米国の大学内のコンピューター網が大学間で連携してできたネットワークで、当初は学問的分野に限られていたが、最近、急速に、ビジネスや商業分野に応用されるようになってきた。しかし、95年にYahooで検索した結果でも、日本のスポーツ関係のものはほとんどない状況であった。
その理由としては、インターネットは英語の世界であり、大多数の日本人には壁があること、スポーツ関係のホームページには、スポーツの専門家やプロの知識を必要とすること、ホームページを開設するには、コンビュターを使いこなせる技術が必要であることなどが考えられた。そこで、テニスのホームページを立ち上げるべく検討を重ね、3年前に日本で初のテニスの専門的なホームページである「インターネットテニスジャパン(http://www.tennis-japan.com)」を開設することができた(4)。その表紙を図3に示す。
新聞や雑誌やテレビが一方的に情報を流すメディアであるのに対して、インターネットでは、ホームページの送り手とその視聴者の受け手がネットワークやメールを使って交流できるので、いわば双方向のメディアと言うことができる。杉山愛とファンとの交流ページや、自分の名前や登録番号からランキングを検索できるジュニア・コンピューターランキングは、この特性を生かしたものと言える。
一方、雑誌の静止画の代わりに動画で表現できればビデオクリニックの特性が増すので検討した結果、アニメーションの手法を用いれば、ビデオ並みとはいかないまでもフォームの分析は十分できる程度の動画で表現できることがわかった。杉山愛選手の全面酌な協力もあって、図4のような杉山選手との比較画像を載せており、わかりやすいと好評である。
また、英語に弱い人たちのために、世界のトップスターたちのページと提携して日本読版で見られるようにしたが、これはテニスの底辺の拡大を意識した草の根運動の一環と考えている。
インターネットテニスジャパンの現時点でのコンテンツは、車いすテニス、日本テニス学会、関東テニス協会、北信越テニス協会、ビデオクリニック、杉山愛のページ、アガシのページ、グラフのページ、クルニコワのページ、ルチツチのページ、吉田友佳のページ、松岡修造のページ、インターネット・テニスフォーラム、レイティング、関東学生庭球同好会連盟、良品広告、ベストテニスサイト、ピーター・バーウォッシュ・インターナショナルなどである。
そして、日本におけるテニスの最初のホームページということでNHKで紹介されたこともあり、現在では1日に2万件のアクセスがあるまでに成長している。ホームページは、今や誰でも開設できる環境になってきたが、開設してもアクセスがなければ意味がなく、自己満足で終わってしまう。そのページが注目されるには、コンテンツ(内容)が勝負であり、やはりオリジナルな情報をどれだけ発信できるかが大切であると思われる。
テニスの科学が現場に及するためには
テニスは感性が大切で、科学にはそぐわないものだと言う人もいるであろう。また、日本では、伝統的に流派を尊ぶ国民性の一面があるのも事実である。
先に述べた日米の提携を記念して本が出版されたが、その英語版では、日本語版の技術の部がすべてカットされたことがあった。当時、冒頭で記した迷信に近いことが信じられ、科学的なアプローチの乏しかった日本のレベルではいたしかたなかったのかもしれない。
科学と流派の違いは、一般性や再現性があるか否かである。一部の人しか信じていないものや再現できないものは未だ科学データとは言えないし、その反対に、誰でも再現できるが、新しい発見や独創性のないものは学問的には価値がない。したがって、天才や流派の新しい発見が、誰でも再現できて初めて科学的な真実となり、皆に受け入れられてテニスの進歩をもたらすと言えるし、新しい用具の発明によりテニスが大きく変貌したのも科学の力である。
私の経験から言えることは、表1に示す5つの要素がテニスの科学において重要であり、現場で実際に役に立つ具体的な形まで追求することが、とくに大切だと思っている。指導者や研究者の皆さんが、科学的なアプローチで得た新しい発見を発表し、多くの人の批判を受けて改善し、実際の現場で役に立つ形にまで仕上げてほしいと切に望むものである。
表1 テニスの科学の5要素
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1.科学的手段による研究 Scientific Research |
2.新し発見、独創性 New finding,Originality |
3.一般性 Generality |
4.再現性 Reproducibility |
5.現場との直結 Practicality |
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