第一部 ディ・グレフェンとの出会い
 〔第三章1986年 夏〕


  

1986年の夏、シュテフィはついに本物のスターの仲間入りをした。しかし、パリで彼女に苦い失望を味あわせたアレルギー症は、ウインブルドンへの出場も許さなかった。ほとんど二週間をベッドから出たり入ったりで過ごしたシュテフィがイギリスへ飛べるほどに回復したのは、この世界一のグランドスラム大会が最後の週末を迎えようとしていた時だった。たとえプレーできなくても、見るだけでもと彼女は願った。そして、ライメンでの子供時代からの練習仲間であるボリス・ベッカーが連覇を成し遂げるのを見ることができた。

私はシュテフィが慢性的にいろいろな故障や病気に悩まされ続ける最初の兆しを感じ取った。チェコスロバキアで開かれたフェドカップでのケガはなんともおそまつな話だった。

シュテフィにとってフレンチ後初めてのこのトーナメントで彼女は最初の二つの試合に勝った後、つまさきを負傷した。シュテフィが座っていた椅子の大きな日よけの傘が風で吹き飛ばされて彼女の足の上へ落ちてきたせいだった。この日、シュテフィはこれらの大きな傘になじめず、チェンジオーバーの間、暑さよけのためにこの傘を開くことを断っていた。

彼女は数年後、ドイツのブリュールの家近くの森でランニング中に木の根に足をとられ、再びつまさきを骨折することになる。右手の親指と中指も同じようなケガに見舞われた。シュテフィはこんなふうに言ったことがある。「プレスルームの入り口はいつもカメラのケーブルやいろんな機械があちこちに散らばっているでしょ。ああいう場所では、無事に出入りできるとほっとしますね」

シュテフィはドイツテニス協会に対し面目を失って少しきまりが悪い思いをした。しかし、彼女が一風変わったケガのためにトーナメントを欠場するはめになるのはこれが最後ではなかった!

一ヶ月後、シュテフィは彼女のお気に入りのひとつになっているニュージャージー州、マウワウの大会に出場していた。彼女はここでの大会の間、会場近くのある家庭に毎年滞在することにしている。家族たちとも親しく、ホテルで過ごすよりもずっと快適なのだ。彼女はマウワウで勝ち、次のUSオープンに向けていい準備ができた。

USオープンのドローで彼女はマルチナ・ナブラチロワと同じヤマに入り、準決勝で顔をあわせることになった。シュテフィは冬の間にサーブとパッシングショットを鍛え上げ、その成果を祖国ドイツのクレーコートの上で発揮した。彼女は精神的にも肉体的にも強くなっていた。たとえアメリカのハードコートの上でも去年のように簡単に負けたりはしないとシュテフィは思っていた。

トーナメント第二週の金曜日、シュテフィが待ち望んでいた試合が始まった。その日は曇って風が強く、今にも雨が降り出しそうだった。そして、シュテフィもその日は何もできなかった。マルチナが素晴らしいサーブで試合をリードしていき、シュテフィはグランドストロークにいつもの冴えがみられなかった。シュテフィのボールはたびたびラインを越え、ネットにかかった。

試合の序盤に思いがけないことが起こった。シュテフィの強烈なフォアハンドショットがネットをかすめてマルチナの眉間に命中し、眼鏡を砕いた。危ない一瞬だったが、マルチナはあわてずコートサイドに戻ってもうひとつの眼鏡を取り出した。これはマルチナよりもシュテフィを大きく動揺させたのか、彼女はサービスを落としてしまった。ファーストセットが1−4となったとき、強い雨が降り始め、昨年と同様の敗戦に見舞われることからシュテフィを救った。

準決勝の続きは翌日、通常なら女子の決勝が行われる時間に始まった。USオープンのスーパー・サタデーとして知られるこの日、スタンドはもちろん超満員だった。コートに姿を見せたシュテフィとマルチナは二万人の熱狂的なファンの歓声に迎えられた。マルチナは素早く昨日の調子を取り戻し、ファーストセットを6−1で取った。まともな試合になる前に終わってしまうんじゃないか? 失望のため息が観衆の間からもれた。

だが、セカンドセットの最初にシュテフィがマルチナのサーブをブレークしたことで試合の流れが変わった。これで試合らしい試合になってくるかもしれないと観衆は期待し始めた。セカンドセットはすべてのゲームが厳しい本物の戦いになった。シュテフィはリズムに乗り、爆発的なフォアのウイナーをコート中にたたき込んだ。間もなくこれはふたりの天才の間で戦われる信じられないほどクオリティの高い試合であることがはっきりしてきた。偉大なるサーブアンドボレーヤー対偉大なるベースライナー、あらゆる時代の最高の試合。テニスの夢だ。

マルチナはセカンドセットの第6ゲームをブレークバックしてスコアを3オールにした。ふたりともサービスをキープして4オールとなったが、このあたりから観衆はシュテフィのサイドにつきはじめた。マルチナのショットはおざなりの拍手で迎えられ、一方、シュテフィのウイニングポイントには大歓声が送られた。観衆がマルチナを嫌っているというわけではない。これは単にシチュエーションの問題なのだ。ニューヨーカーは判官びいき、勝ち目の薄い少女が全力を振り絞って実績ある偉大なチャンピオンに立ち向かっているとあっては、ついそちらを応援してしまうのである。

シュテフィは再びブレークして5−4とし、サービング・フォー・ザ・セットを迎えた。シュテフィは強力なグランドストロークで2ポイントを先取したが、次のポイントは中途半端なプレーでマルチナにイージーポイントを与えた。続くポイント、マルチナのショットはわずかにサイドラインを越えたかに見えたが、線審のコールはグッド。スタンドからはブーイングが起こったが、オーバールールはない。シュテフィは次のポイントをネットにかけてしまい、がっかりした観衆のもらす声がコートをおおった。彼らは今やはっきりとシュテフィの応援に回っていた。17歳のほんの子供がこの状況の中、完全に集中しきってプレーしている!しかし、マルチナはさすがで、再び5−5のタイに戻し、シュテフィにはセットポイントを握るチャンスさえなかった。

その次のゲームは素晴らしかった。見事な攻防が繰り広げられ、何度ものデュースとアドバンテージの末、シュテフィが再びマルチナのサービスをブレークした。スタンドは大歓声に包まれた。シュテフィ、6−5のリード。テレビの前で私は最後に残った爪をかんでいた。結局シュテフィが自分のサービスをキープできなければ話にならない。最初のポイントは彼女がとったが、その後マルチナはすべてのチャンスにネットへつき、シュテフィにすさまじいプレッシャーをかけた。結局シュテフィはそれに耐えきれず、続けて四つのエラーを犯してしまう。

6オール、タイブレーク。私の口はからからに渇き、今さらながらシュテフィに感嘆せずにはいられなかった。彼女はまだ幼いといっていい年齢なのに、この困難な状況の中で見事なプレーを見せている。マルチナもそのことは忘れないだろう。コートサイドのカメラが一瞬、シュテフィの表情、集中して細められた青い瞳をとらえた。そこには落ち着きと断固とした熱意が見て取れた。

彼女が最初のポイントを取り、次はネットへ出てきたマルチナにバックハンドのトップスピンウイナーを浴びせたので、私は少し気が楽になった。彼女が続く2ポイントも勝って、会場は興奮に沸き返った。シュテフィ4−0とリード。次のポイント、シュテフィの絶妙なロブがマルチナの頭上を越えた。ロブはベースライン近くに落ち、大歓声に包まれたスタンドでは誰もラインパーソンのアウトの声を聞いていなかった。シュテフィのボールがアウトとコールされたのだということがようやくわかったとき、かつてUSオープンで一度も聞いたことのないような巨大なブーイングがなだれをうってコート上に降ってきた。スタンドの怒りの声がおさまるのにしばらくかかったが、シュテフィが目の覚めるようなエースを打ち込んでそれは歓声の爆発に変わった。7−3でシュテフィがタイブレークをおさえ、セカンドセットを取り返した。

彼女がチェアに戻るために歩き出したとき、観衆は立ち上がってシュテフィに長いスタンディング・オベーションを与えた。男子ロッカールームの奥では、テレビの前で叫びすぎて声をからしたボリス・ベッカーが、次のスタジアム・コートでの対戦相手ミロスラフ・メシールに向かって、にこっと笑っていた。その日はいわばドイツ対チェコスロバキアの日で、ドイツがたった今、スコアをタイにしたのだ。

マルチナがファイナルセットの最初のゲームでシュテフィのサービスをブレークし、4−3までリードを保った。ファイナルセットの第8ゲーム、シュテフィは立て続けに四つのウイナーを決めてマルチナのサービスを破った。ポイント毎に観客から与えられる大きな声援が彼女を勇気づけた。

シュテフィがタイに戻し4−4で迎えた次のゲームは、私が今までに見た中でも最も素晴らしいものとなった。ふたりのプレーヤーは持てるもののすべてを使ってお互いに挑み、コートのコーナーというコーナーにウイナーが炸裂した。シュテフィが最初の3ポイントを取って、観衆は叫び、熱狂的な拍手を送った。しかし、マルチナは巻き返し、次の3ポイントを取った。デュースとアドバンテージが何度もいったりきたりを繰り返した末、鮮やかなトップスピンのバックハンドウイナーでシュテフィがこのゲームを決めた。再びスタジアムは大歓声に包まれ、ふたりがチェアに戻るとそれは期待に満ちた沈黙に変わった。誰もが現実をかみしめていた。マルチナは次のサービスをキープしなくてはならない。さもないとこの少女が、初めてUSオープンのファイナルに進むことになるのだ。ファイナルセットの第10ゲームがあっと言う間にデュースになっても誰も驚かなかった。それこそこの一生に一度の試合にふさわしい。シュテフィは信じられないほど凄いフォアのショットで最初のマッチポイントをつかんだ。それはまるでライフルの弾丸のようだった。その瞬間、スタンドでは大歓声が爆発し、冷静で落ち着いた
17歳は初めて興奮の叫びをあげた。拳を握りしめ、ベースラインの後ろに下がった彼女は次のマルチナのサーブを待った。彼女の口はからからだっただろうし、手は激しい運動のためだけではなく、わき上がってくる興奮のため汗に濡れていたに違いない。もし、このポイントをとれば、ファイナルで待っているのはクリス・エバート・ロイドではなく、ヘレナ・スコバなのだ。初めてのグランドスラムタイトルも夢ではない。

長い拍手と歓声がベースラインに立った彼女に送られた。私はシュテフィが深く息をはくのを見た。このような瞬間にどんなことが脳裏をよぎるのだろうか。長く厳しい努力の成果があとわずかで実ろうとしている。マルチナがサーブし、シュテフィはリターンした。しかし、マルチナの次のショットに対する彼女の右への動きはわずかに遅れた。慎重に、神経質になりすぎていたシュテフィのフォアハンドはマルチナのベースラインを越えた。スタンドはどよめき、私はがっかりした。ここまでなのか?プレッシャーに押しつぶされてしまうのか?突然彼女は自分のいる位置に気づいてしまったのか?

私は次のポイントを息を殺して見守った。シュテフィが飛び跳ねながら放つショットにあわせて椅子をねじりターンさせ、ネットにでてきたマルチナを彼女が素晴らしいパッシングショットで抜いた時には大声をあげてしまった。二度目のマッチポイント。カモン、シュテフィ。私はささやいた。今度こそやるんだ。

しかし、彼女のリターンがまたベースラインを越え、私もまたがっくりした。マルチナは果敢に次の2ポイントを取り、ファイナルセットを5オールのタイに持ち込んだ。次のゲームも最高の闘いだった。シュテフィはリードを許したが、見事に盛り返し、素晴らしいトップスピンのバックハンドでゲームを勝ち取った。6−5でシュテフィ。マルチナにとってこれほど消耗しつくし、ナーバスになった経験は彼女の長いキャリアの中でも一、二度あるかないかだろう。だからこそ、彼女は自己の名誉にかけて次のサービスをキープし、再度のタイブレークにつないだ。

その日のスタンドの歓声はもの凄く、ふたりのプレーヤーがタイブレークに入ろうとするときそれは最高潮に達した。シュテフィがファーストポイントをネットに出て決めたのには、誰もが、おそらく彼女自身も驚いた。観客は狂喜した。このタイブレークもセカンドセットと同じ展開になるんじゃないのか?マルチナはそんなことはさせまいと決意していたが、セカンドポイントでシュテフィのロブが彼女の手の届かないところにあがったときはぞっとしたことだろう。彼女は追いかけることができず、振り向いてボールの行方を追っただけだった。しかし、ボールはわずかにアウトして、彼女は救われた。

ふたりは一歩も譲らぬ激しい闘いを繰り広げた。一方がポイントをあげると次はもう一方が取った。シュテフィは5−3とリードしたが、ふたつのアンフォースドエラーを犯してしまった。汗が額をしたたり落ち、私は椅子に座っていられず、テレビの前の床に腰をおろした。次のポイントを取ったほうがマッチポイントを握る。私はどうかシュテフィが私より落ち着いていてくれますようにと祈った。シュテフィのリターンはわずかにサイドラインを割り、私はがっかりした。マルチナがマッチポイントを取ったのだ。失望感が私を打ちのめした。シュテフィが次のポイントを取る可能性はほとんど無いだろうと思っていただけに、彼女のバックハンドウイナーが決まったときには飛び上がってしまった!6オール!ふたりは観客の熱狂する叫びの中、エンドを変えた。

マルチナはシュテフィがとても取れないような素晴らしく切れのいいボレーを決めてふたつ目のマッチポイントを握った。シュテフィはここをもう一度持ちこたえることができるのか?見込みはさっきより薄いように思えたが、彼女の象徴ともいえるフォアがマルチナの攻撃を吹き飛ばした。7オール、観客たちは立ち上がったきり試合の決着がつくまでもう座ることはなかった。

シュテフィがもう一度バックハンドのウイナーを放ち、私は「イエス!」と叫んでいた。彼女の三回目のマッチポイント。三度目の正直になるのか?どうか、お願い、私はつぶやいていた。次のポイントが始まった。素晴らしいストロークの応酬、観客は興奮の絶頂に達した。マルチナはやや甘いアプローチショットでネットへ出てきた。シュテフィはバックハンドに構え、ダウン・ザ・ラインに絶妙なパスを打ち込んだ。が、ボールはネットのトップに当たり、彼女のサイドへ落ちた。ああ、神様!私は叫んでいた。1ミリ、あとほんの1ミリ上であれば、シュテフィはこの偉大な試合の勝者になっていたのだ。

タイブレークは再び8オールになった。シュテフィのサービスだった。彼女がサービスを打つためにラケットを持ち上げにかかった時、ラケットが彼女の手から滑り落ち、大きな音をたててコートに転がった。彼女は素早くラケットを拾いあげたが、すでにダメージを受けていた。単なるアクシデントであろうとなかろうと、それがシュテフィをひどく動揺させたのは間違いない。ポイントが始まって、私はシュテフィのショットがネットの真ん中あたりにひっかかったのに驚いてしまった。

一年後、彼女はこの時のことを思い出して言った「私はあの時、暑さと寒さを同時に感じていました。ふるえがわたしの身体中を走り回っていたのです」。

マルチナの三度目のマッチポイント、私にはマルチナがそのポイントを取ることがわかっていた。そして、彼女は勝ち、歓喜の叫びをあげた。私はがっかりして気分が悪くなったが、シュテフィはどれほど失望していたことだろうか。

マルチナと握手を交わすためにネットに向かった時、彼女は感情を押し殺していた。泣き出しそうになりながらなんとかその気持ちを押さえ、そそくさとマルチナの手を握ると、彼女の心にはただひとつのことしか浮かんでこなかった。できるだけ早くコートを去ること。彼女は近よりがたく非友好的だという人がまた増えるかもしれない。しかし、今、そんなことはどうでもよかった。

どんなにか彼女は自分のチェアに座ってタオルで顔を覆い大声で泣き叫びたかったことだろう。去年、同じような状況の下でパム・シュライバーが彼女に対してしたように。しかし、それはシュテフィのやり方ではない。マルチナがこの奇跡的なエスケープを天に感謝している間にシュテフィはラケットやタオルを素早くかき集めた。インタビューのリクエストを払いのけてコートを後にしたのは、のどの奥からこみあげてくるものがあったからだ。ひとたびロッカールームに入ったら、せきをきったように涙があふれてくることだろう。しかし、彼女は負けたコートでは泣かない、泣けないのだ。

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